
STORY

Setsuko Abe
阿部節子のストーリー
私は、人見知りをするタイプでした。
子供のころは、特に大勢の人の前で自分のことを話すのは大の苦手で、話すと耳まで真っ赤になるほどでした。
自己主張をしないのだけど、しっかりと自分の考えはもっていてただそれを言葉にすることが苦手。
少しづつ、人前で話をする機会が増え 克服していったのですが、今でも緊張して頭を整理して話をしないとしどろもどろになってしまいます。
そんな私が、何故クラリネットを始めたのかというと、音楽が大好きな家庭で育ち 自宅では様々なジャンルの音楽がながれているという家庭で育ち、4歳でピアノを始めました。
体を動かすのも大好きな活発な子供だったのですが、音楽が大好きだったこともあり中学校では吹奏楽部に入団。
そこでクラリネットと出会いクラリネットの虜となりました!
移調楽器であるので クラリネットで吹くドレミが ピアノのドレミの音と1音違い 耳が慣れるまでは少し大変でした。
今では耳から入る音が、B♭管のクラリネットの音で聞こえます。
吹奏楽で演奏するうちに違う楽器と奏でることが出来る喜びを感じ、ピアノよりもクラリネットに打ち込んでいきました。
運よくオーデションを受けて 留学することが出来きたのも クラリネットを続けてきたからだと思います。
そのおかげで国が違っても音楽というツールを使って友情を育むことができたのは とても幸せなことです。
しかし、活発なのだけども、人前で自分をアピールしたりするのが苦手だったので、人前で演奏することが以外にも最初はとても苦手でした。
それよりも演奏している楽しさを知ることで、場数をふんで慣れてきた感じでした。
短大を受験して3年生から編入しようと挑戦したのですが不合格。
翌年再度挑戦する事をやめて、音楽をやめようかと悩んだ時期もありました。
そのあと 神戸市と姉妹都市のオーストラリアブリスベン市にある クィンズランド音楽院の学長が来日しオーデションを行うとの記事が新聞に掲載されているのを父が見つけ 挑戦 奨学金を得て合格しその後の音楽人生が開けることになりました。
何度も挫折はありますが 多くの人との出会いが人生を変えています。
特にクラリネットの師匠 宮本淳一朗先生、藤井一男先生に師事できたことで大きな転機を迎えました。
クラリネットの技術は 学んできていたが それを形にする事が出来ないことに気づき、企画、プロディースを学び、子供向け演奏会の企画をし、60名以上の集客での演奏会を成功をおさめました。
幼稚園のお誕生日会での演奏も大盛況で継続的な依頼も受けることができました。
今後は、より音楽をビジネスとしてつながる活動をしていきたいと思っています。
私のミッションは、
『子供から大人まで自分らしく 心から輝ける人を増やす!』です。
それぞれ 自分だけの花を咲かせ 輝かせていくことが出来るなら 幸せな世界が広がる!
誰かをうらやむわけではなく、比べることもなく 自分のやりたい道で自分らしく 心から輝く世界が作れれば笑顔が絶えない 心豊かな人生を歩んでいける事ができる!
そんな人達を増やすことで、その波動が平和に繋がっていく世界をつくってまいります。